物語る亀の日常

井中カエルが日常のことについて適当に喋るブログ

問題提起:ユーロスペースの映画上映中止に対する懸念

 

今回は雑談ですが……時事ネタで『ユーロスペースの映画上映中止問題』を扱います

 

こういうことを気軽に話せる場としての雑談ブログはいいもんだなぁ

 

カエルくん(以下カエル)

今の所、うちで確認できるレベルでは称賛も反対も半々ってとことかな?

 

色々な意見が出てくるのは当然ではあるのかな

 

カエル「うちも全てを把握しているわけではないので、異論もあるでしょうがちょっと思うところを書いていってみましょう。

 それでは、記事のスタートです」

 

 

 

 

簡単なことの経緯(自分の認識)

 

まずは簡単にことの経緯に関して、うちがどのような認識であるのかも含めて整理してみましょうか

 

色々と複雑な問題だよなぁ

 

カエル「ことの発端は2022年にS監督が週刊誌で監督という上位的な立場を利用して、性加害を女優に加えていたことが告発されました。いわゆる枕営業も含めて、常態化していたという告発です。

 そしてその後に出てきたのは別のS監督も同様の行動を行なっており、告発されました。そしてそれに関与していたというのが、複数名おり、今回の騒動の渦中にいる主演俳優のSもその1人でした。

(偶然だけれど全員Sだからわかりづらいなぁ)

 そして残念なことに、告発した女性の1人は自殺してしまったということで、さらに問題視されます。

 この背景にあるのがハリウッドで巻き起こった映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインの性加害問題であり、それを告発する運動が日本でも巻き起こったという構図になっています」

 

この騒動に対する告発そのものは、もちろん業界のあり方を是正するのにとても必要なことだし、賛同するものだ

 

主「正直、この話が出た時には『なんで今更?』と思った部分もある。

 それこそジャニーズ事務所と同じように……芸能界ってそういうところでしょ? って意識は、自分の中でもかなり根強かった。それこそ松本人志も似たような構図だよね。

 日本で男女問わずトップ1パーセントの綺麗で若い人たちが次から次へとやってきて、仕事が欲しくてしょうがない。そこに仕事を与えられる偉い人がいる……となると、そこの答えとして汚いものになるのは、むしろ当然という思いもあった。

 それこそ『ドリフターズ』における織田信長じゃないけれど……『そんなの手を出すに決まっているだろ』という話だよね」

 

古今東西、芸能業界ではそういう話が横行していたという噂もあります

 

というか、それが普通だと思っていた部分もある

 

主「古い話だけれどうちも大好きなチャップリンは女優に手を出しまくってリタ・グレイが16歳の時に結婚しているし、ゴダールアンナ・カリーナとか……まあ、枚挙すればいくらでもって感じだよね。女優に手を出すと怒られるから、スタッフに手を出すという話だってある。

 権力があってギラギラして積極的にある男って基本的にはモテる存在だし……男には高嶺の花を落とした方が偉いという価値観が一部であるのも事実。それこそ、リアルなトロフィーヒロインだよね。

 個人的にはそういう価値観は苦手だけれどね。

 悪しき男らしさ文化に感じられて、唾棄すべきものでもある。

 オタク文化とは一線を画す文化で……でもオタク文化オタク文化で気持ち悪い部分もあるから、どっちの方がいいのかは人によるかもね。

 でも、それは今の時代にはやってはダメだという当たり前のことを再認識したし、自分にも無縁のこととは思ってはならないと感じたね」

 

ユーロスペースが上映予定をキャンセル

 

今回は渋谷にあるミニシアターの代表的映画館である『ユーロスペース』でSが主演の映画が公開されるというアナウンスがありました

 

それに対してスタッフが反対した、という話だね

 

カエル「ここが今揉めている部分になりますね……」

 

主「まず、自分としてはどの劇場がなんの映画を公開するのかに関しては、劇場側に権利があるという認識だ。だから、上映するのもしないのも勝手だろう、という思いはわかる。

 1回発表したものを反故することで、商業上の問題があるのかないのかは、正直わからない。そこは契約次第だろうと思うし、それこそコロナ禍などの仕方ない面を除いて反故することで、賠償責任が発生することもあるだろう。

 それを理解した上で、上映予定をキャンセルしたのならば……その判断そのものは当然の権利の行使だと思う。

 その上で、今回の件の懸念点について述べていこうかな」

 

懸念点① 疑惑の段階での決定

 

ここが1番大きいかもしれませんが、まずは疑惑の段階での決定という部分ですね

 

あくまでも疑惑に過ぎないんだ

 

カエル「今回に関しては調べても裁判の情報が出てこなくて、Xにポストされた公式の情報によると警察による捜査もあり、会社としては性加害者ではない、という結論を下したと語られています」

 

https://twitter.com/kuruimusashi/status/1763894197088821336

 

主「主演のSに関しては裁判などがどうなったのかはわからないけれど、あくまでも疑惑の域を出ないということだし、警察に逮捕されたという話も聞かない。

 ここで考えたいのが、近年の性加害疑惑を受けた有名人たちだよね。

 うちは西武ファンだから山川穂高がすぐに思い浮かぶし、今では嫌いな野球選手になってしまったけれど、山川は行為は事実で警察から書類送検されたけれど、嫌疑不十分で不起訴になっており法的には完璧に真っ白だった。

 そして別の事例では松本人志はTVから姿を消して法廷で争い、伊東純也は日本代表から去ることになったわけだ。

 彼らは試合や仕事場などを奪われている……しかも、スポーツ選手の場合は活躍期間が限られているのにも関わらず、その機会を失っている」

 

考えたいのが”疑惑”の段階で結論を出すのが、果たして正しいのか、という問題だ

 

主「疑惑はあくまでも疑惑なんだよ。

 その疑惑の証明は、むしろ訴えた側がするべきだろう。無実の証明は難しいからね。そして裁判で白黒をつけるべきで、それは推定無罪の原則にも則している。

 だけれど疑惑の段階で周囲が勝手に行動したら……例えば山川穂高を出場させなかったのは正しいのか? という思いがある。だって、山川からしたら無実の罪で訴えられて、仕事ができなくなって、野球選手としてのキャリアの一部を失って、しかも大減俸を提示させられてFAで去ることになっている。

 山川のFA後の行為と声明がクソ過ぎて大嫌いだけれど、それと疑惑段階での処分が妥当かの議論は別」

 

逮捕されたとしても=犯罪者ではない、という原則が大事なわけだよね

 

性加害も人権問題だけれど、同時に加害者扱いをした冤罪も人権問題だからね

 

主「だから、裁判ですらない、逮捕すらされていない、しかも本人は全く認めていないことを問題視してペナルティを下すのは、かなりのリスクがあることだと認識した方がいいのではないか?

 もちろん、今回の事例は最後は劇場の権利だから劇場の判断になるが……今回の決断に関しては、どちらにしろ疑念は出てきてしまうだろう」

 

懸念点② 線引きの曖昧さ

 

次が線引きの曖昧さということで、さっきのと似たようなことになるけれど……

 

この手の問題が出るたびに、いつも思うことだよね

 

カエル「少し違う話をしますが『君の名は。』にも関わったプロデューサーが、児童買春によって逮捕されました。15歳の少女に猥褻な画像を送らせたほか、買春行為も行っており、本人も認めているとのことです」

 

主「この場合は監督や主演ではないけれど、でもプロデューサーって自分の感覚では監督や主演よりも上位で、しかも重要な立ち位置の人物だ。

 もちろん作品発表後、また業界の慣例とは関係ない事件であるのは明白だ。だけれど15歳の少女への買春は、あってはならない事態だろう。

 では……『君の名は。』は今後、再上映もテレビ放映も禁止になるのだろうか?」

 

それはやりすぎだと思うし、関係ないんじゃないか? という意見が多そうだけれど…

 

でも製作の重要な立ち位置にいる人が、しかも未成年者への性的な行為で逮捕されている案件だよ?

 

主「ちなみに自分も、規制する必要はないと考えている。

 だけれど、それはとても恣意的で都合のいい理屈だよね。かたや疑惑段階で逮捕もされていない人が主演の映画は上映中止になって、かたやプロデューサーという立場の人が逮捕されて容疑も認めていても作品は問題なしとされる。

 1つの基準ではなくて、お気持ちで左右されるというのは、本当に怖いことではないだろうか?」

 

懸念点③ 異質な価値観の提示ができるのか

 

それがこの懸念点③に繋がってくると

 

なんだか、最近……特に映画は綺麗なものを目指し過ぎているのではないだろうか

 

カエル「もちろん、制作現場におけるハラスメントはなくなるべきだし、労働環境は是正されていくべきだと思います。そこは間違いないです。

 だけれど、作品そのものも綺麗なものにウォッシュしすぎなのではないか? という懸念だね」

 

主「多様な価値観の提示って、本当に難しいけれど、今は多様と言いながら1つの価値観が跋扈し過ぎている印象だ。

 もちろん、今の洋画を含めた映画の流れには同意する部分も多い。特に表現は理想を謳うのも1つの目的だから、その理想を追い求めてもいい。

 だけれど同時に……その価値観で染まることを恐れないといけないのではないか?」

 

正しい価値観は時代や国によって変化する

 

主「例えば日本では基本的にアメリカやヨーロッパと価値観を同じくするけれど、でもその価値観が”正しい”といえる根拠はなんなのだろうか?

 日本では不倫はNGだと言われているが、フランスでは多様な家族の形が増えている。

 日本では人口中絶が基本的に是とされているが、アメリカなどでは意見が分かれている問題だ。

 イスラム教圏では一夫多妻だってあるし、同性愛は厳罰だったりする。それは不倫がNGで同性愛は概ね寛容な方向に向かっている日本と真逆だけれど、それのどちらが正しいのか?」

 

極端なようだけれど、必ずしも価値観は1つではないと

 

むしろ正しいなんてものがない社会だから、難しいし表現は楽しいのではないか?

 

主「自分は捻くれているという自覚があるけれど、同時にとても素直だとも思っているよ。

 物事には多面性があって、みんなが○だと思っているものを○だという必要はない。

 上から見たら円だけれど、横から見たら三角で、斜めから見たら三角錐ってことだってある。

 1つの価値観に染まった時が危ないから、だから自分が気に食わないであろう意見を聞くことも大事であり、それが『お前の意見は絶対反対だが、それをいう権利は死んでも守る』ってやつだよね。

 その意味でも……今回の事例は、その綺麗にしようと価値観が暴走している可能性を指摘しないといけないのではないかな」