みなさま、ちょっとだけお久しぶりです
こちらの方は更新しましょうか
カエルくん(以下カエル)
ちょっと本ブログの方は更新がストップしてしまっています
主
色々と仕事が溜まっていた……というわけではないです
カエル「えっと……毎週更新のエンタメ遅報は?」
主「ちょっと、難しそう。
最初は『月曜更新だけれどアカデミー賞の結果は待たないとね』と思っていたけれど……書くことができなくなってきた。
正直、自分でも困惑しているかなぁ。
というわけで、つらつらと書ける雑記ブログの方で、日常的な話&投資の意欲についての話をしていこうと思います」
投資が虚しくなっていく現象について
お金って結局数字だよね
何を語ろうとしているの?
いや、お金って結局数字でしかないよねって
カエル「それはそうかもしれないけれど、数字であり結果である……みたいなことをいつもは言いそうじゃない?
それを言い出したら野球の結果だって数字だし、支持率とか人口とか映画のレビューだって数字だし、ブログならPV数とか……って、いいそうなのはそっちじゃないの?」
主「……なんかさ、それが虚しくなってきた」
いや、そんな大金持ちみたいなこと言って!
年収が一定金額を超えると人生の幸福感が一定になる、という話がよくわかるよ
カエル「年収って最初は低いよりも高い方が幸福度も指数関数的に上がっていくのですが、800万だか1000万だか1500万だかで、それが打ち止めになるって話だよね。そのあとは1億だろうが100億だろうが、そこまで変わらないってデータがあるようです」
なんか、めっちゃ気持ちがわかる気がする
カエル「……いや、それこそ成功者ってレベルじゃん!」
主「このデータって、色々とあって年収の額そのものは、あまり意味がない。独身と既婚、子どもがいるかいないか、家族は健在か否か、介護の心配はあるか、自身の健康状態はどうか、住宅ローンがあるかないか……色々なデータは人によって異なるから、欲しい金額は全く異なる。
あとはその人の物欲だよね……そういうのでも、変わってくる。
だから人によっては年収300万円で幸せだと言えるだろうし、中には1億でもまだまだとガツガツいくことになる」
一定以上の金額を超えると投資活動もただの数字の動きだけになる
いや、だから、あなたはそこまでお金持ちではない一般市民でしょう?
……でもさ、投資活動が進んでくると、もうどうでもよくなってくるんだよね
カエル「……? どういうこと?」
主「そこまで総資産が多いってわけでもない……普通の人からしたら多いと思うけれど、でも投資好きとしてはそこまで多いわけではないけれどさ。
それでも、毎日給料分くらいは総資産が変わるんだよ。もちろん、上がるだけでもなく下がってもね。
だけれど、いつの間にかそれがボーナスになり、時には3桁動くようなことになると……もう、なんでもよくなる」
3桁って言っても、それは仮想通貨がめちゃくちゃ上がっているだけだから、実際に何かしたわけではないでしょう?
そりゃそうなんだけれどさ
主「一定期間をあければ、総資産も当然変わっていくわけじゃない。それが1ヶ月なのか、3ヶ月なのか、半年、1年か、あるいは3年、5年という単位なのかは伏せるけれど、自分の年収分、あるいは手取り年収に近い額が増えていくわけだよね。
これって……何?」
カエル「何って、それが投資活動なのではないの?」
主「そう、これが投資活動だよ。
でもさ、ふと我に返ってしまって気がつくんだよ……こんなことに、なんの意味があるんだろうって」
より問われていく『お金が増えて何がしたいのか』
……意味? お金が増える、意味?
そこに意味がまるでないってことに、気がつくんだよね
カエル「……なんか、元起業家で現在はインド仏教の僧侶となっている小野龍光に影響されたの?」
今なら、気持ちがわかる気がする
主「自分はそこまで大成功したわけでもないけれどさ……通帳の総資産額、正確には通帳ではないけれど、それが増えていくわけじゃない。
だけれど、生活は一切変わらないわけ。
朝起きて、適当に過ごして、ご飯を食べて、うんこして、寝る。それだけ。
その間にも資産は増えたり、減ったりしている。
もう、意味がわからないよね
主「何かをした、何かを成し遂げた結果の数字ではなくて、ただそこにお金を置いているだけで数字が増えていくんだよ。
確かにその投資手法を決断したのは自分で、行動したのも自分で、銘柄を選んだりした。今が市場状況がいいだけなのもわかる……けれど、下がったところで悔しいとも思わず、へえとしか思えない」
欲って大事
それだけお金があるなら、何か好きなものでも買ったり、食べたりすればいいのでは…?
もう、何かをやる気がをないんだよ
カエル「いや、でも欲しいものを買ったりさ、美味しいものが好きなら、それにお金を使えばいいんじゃない?」
主「欲しいものを全部買おうと思って、VRゴーグルを買ったり、Apple Watchを買ったんだよ。これは自体はとてもいい買い物だった。生活が変わったよ。
でも、それでもう欲しいものが全部なくなってさ……車も興味がないし、宝石とか服にも全く興味がない。本も好きだったけれど買っても読まないし。
食事も美味しいご飯に興味がなくなって、コンビニでいい。なんなら、自分で野菜と肉を買ってきて、出汁の素みたいなのだけ入れて煮るだけの、鍋ですらないものを作って、それを3日とかかけて食べているけれど、最近は作っても食べなくなってきた」
それは衛生的にもまずいんじゃ
別に当たっても死んでもどうでもいいからね
主「ということを考えると、お金が増えることに対する意味って、何もないんだよね。
それを使う手段がないというか。
だから、浪費家がいいって話じゃないけれど、お金を稼いで服や宝石や靴とかの、いい装飾品を買ったり、車を買ったりするのは、とても大事なことなんだよ。キャバクラとか風俗遊びでもいい。もちろん、子どもや家族へのサービスでもいい。
そうしないと数字を追い求める根源的な意味がなくなる。
少なくても、今の自分は欲がないから……お金を稼ぐことに意味がないんだよね」
それだったら、寄付でもすればいいんじゃないの?
そこにどんな意味があるの?
カエル「……意味? 困っている人が救えたりすることじゃない?」
主「そういう理屈になるのは、きつい言葉になるけれど、困っている人を救うことで優越感にひたるとか、そういう打算がなくても感謝されることでお互いに喜ぶということだよね。それも1つの欲なんじゃないかってこと。
そういうことに対して喜びを感じる人は寄付や社会貢献に使えばいい。誰もバカにしないだろう。
だけれど、そういうことを行動原理として持っていない人の話をしているわけでさ」
お金は少ないから意味がある……?
そんな、特異な話にも聞こえるけれど……
お金っていうのは、少ない時が1番幸せのかもしれない
カエル「何を言い出しているの?」
主「小学生の時、100円でも嬉しかった。1000円なんてもらったら、もうどう使おうかあれこれ考えていた。
もちろん、なんでも買えるわけではない。だからこそ優先順位を……意識的にも無意識的にもつけて、時には節約をしながら使っていた。
でも大人になると100円なんて無感情だし、1000円だってふ〜ん、ってレベルだ。
10000円でようやく心が動くって、レベルかもしれない。でも、それすら意味がなくなってしまう」
最近、ずっとCities: Skylinesってゲームをプレイしているのね
カエル「2015年に発売した、都市を作るゲームだよね。今更といえば今更だけれど……3日か4日で、50時間くらいプレイしているよね」
主「都市を作るときに、最初はお金もないから、色々と考える。でも、ゲームが進むとお金が大量に入るから、もちろん使う金額も大きいのだけれど、できることはいくらでも増える。
その結果、お金という概念が、本当にただの数字でしかなくなる……というか、ゲームだから実際にただの数字なんだけれどね。
でも、現実もそうなっていく。
目の前に現金や物があるわけでもなく、増えたお金でやりたいことも欲しいものもなく、ただ銀行口座や資産が増えていくだけのお金を見てしまった場合……その時、投資ってどれほど虚しいのだろうか、と思うようになる」
結局は、お金は稼ぐのも大変だけれど、使う方がより大変なのかもしれないな